2005年活動報告  


10月14日:ジュゴン連続セミナー第1回概要



その2


(写真提供 目崎茂和さん)

  辺野古崎と長島、平島
普天間基地の移設先として日米で合意されたのは、美しいサンゴ礁の広がる辺野古崎沿岸部。長島では日米・日豪渡り鳥条約で保護されているエリグロアジサシが営巣します。


      島袋伸三氏提供

  長島73年浜下り(ハマウリ)
浜下りとは旧暦3月3日に女性がその年はじめて海に出て、貝やタコなどを拾う行事です。潮が引くとあたり一面サンゴが顔を出し、歩いてあちこち移動できます。


      島袋伸三氏提供

  サンゴの群生
1973年のこのあたりのサンゴはみな生きていて、驚くばかりのすばらしい光景です。サンゴ礁に棲みつく魚や貝などの海の幸もとても多く命あふれる豊かな海でした。

 77年 長島
1977年に目崎さんが琉球大学の学生さんたちと、長島に行かれたときには、サンゴは死滅していました。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。それは1975年に沖縄海洋博が開催され、その少し前から沖縄の大規模開発がはじまったことと関係しています。

 オニヒトデの異常発生
サンゴ死滅の犯人はオニヒトデ。直径が30cmにもなる大型のヒトデで体の下側の真ん中にある口から胃袋を出して消化液を分泌し、生きているサンゴを食べます。オニヒトデはもともと沖縄の海に棲んでいたのですが、赤土の流入などで沖縄の海が汚れ、サンゴが弱っていると大発生しやすいのです。そのため大規模開発がはじまった頃からオニヒトデが大発生するようになりました。

  大浦湾とサンゴ、ジュゴン
1998年沖縄で大規模なサンゴの白化現象が起こりましたが、大浦湾は水深が深いため水温が上がらず、サンゴは死滅を免れました。それで現在も大浦湾ではすばらしいユビエダハマサンゴの群落を見ることが出来ます。キャンプシュワブまた、大浦湾を泳ぐジュゴンの姿が日本テレビのカメラで撮影されています(2004年3/9)。  ジュゴンは浅瀬だけでなく、大浦湾のような水深の深いところにも海草を食べに行くようです。


大浦湾の水深は深いので軍艦が入ることも出来るそうです。おりしも沖縄北部地域に基地を集中し、那覇軍港を北部に持ってくるという話も持ち上がっています。ジュゴンにとってもここに生活する人にとっても大切なこの地域には、基地ではなく保護区が必要です。
目崎さんの「沖縄の文化を守ることは自然を守ること」という言葉が印象に残りました。