2016年活動報告  

7月3日:じゅごんの里ツアー
3日目:羽地ダムと真喜屋の滝


7/3(日)は、「羽地ダムと真喜屋の滝」「天仁屋のヒラタチへリバートレッキング」
の二つのコースに分かれて、ヤンバルの森に入りました。
羽地ダムと真喜屋の滝 ―川が見てきた歴史を辿る の報告をします。

ガイドは、名護市史の編纂に携わっていらっしゃる
フリーライターの浦島悦子さんにお願いしました。


羽地大川は、名護岳・多野岳を源流とし羽地内海に注ぐ川で、
上流域には19世紀後半〜戦前、開墾集落があり、250世帯、1200人が
住んでいたそうです。
ダムの湖底に沈んだ大川分教場記念碑の前で。


灌漑、そして上水道用水を沖縄本島全域に供給する目的で2005年に竣工。
発電施設はありません。オレンジ色の屋根が取水塔。


ダムのそばにある羽地ダム資料館には、地域の文化・歴史がよくわかる展示がされています。


以前は、沖縄島南部の村落には「村ガー」と呼ばれる湧水や井戸があり、
飲料水として使用していましたが、水質の悪化や使用しない事により
涸れてしまったりで、今はあまり使われなくなり、
北部のダムの水が送られています。


ダムの湖面をのぞみながら、浦島さんからダム建設の経緯を聞きました。
復帰直後、沖縄開発庁による農業用ダム(全額国庫負担)の説明会があり、
これには住民が同意。その後多目的ダムへの計画変更があり、
水系7区住民が反対(10年に渡る調査の結果、ダムの弊害、自然破壊の
意見書を県議会に提出)。
その後、色々ないきさつを経て、国の総力をあげた反対運動切り崩しがはじまります。
「羽地大川流域の自然を守る会」が結成されるも、1988年に20年に渡る反対運動に
終止符が打たれます。


次は、多野岳の山向こうの真喜屋の滝の散策です。


ヤンバルの森。
すばらしいお天気です。


木生シダのヘゴが茂る山道をしばらく降りてゆくと、


こんなきれいな川が現れました。


この川を歩いていきます


川のそばに遊歩道があるので、そっちを歩くのも楽しい


真喜屋第1の滝に到着
第2、第3の滝もありますが、今回はここまで。
ここで滝を見ながらお弁当タイム


帰りは遊歩道を歩きながら、浦島さんから「護郷隊(ごきょうたい)」の
お話を聞きました。
1945年米軍が上陸したとき、北部守備軍(国頭支隊)はわずか2500人足らず。
沖縄守備軍は、現地召集の防衛隊・学徒隊を含めて11万人。
米軍は54万人、艦船1500隻。国頭支隊は「捨て石」の「捨て石」。
そんな中、14歳以上の少年たちが、「志願」という形で
戦場に駆り出され、スパイとゲリラ活動をさせられました。
「護郷隊」とは、遊撃隊(ゲリラ隊)をカムフラージュするための
名前だったのです。


こんな小さな穴に身を隠し、ゲリラ活動をした子どもたち。
隊長の命令で、自宅を含む故郷の家々を焼き打ちにした
真喜屋・稲嶺の少年たちもおり、そのことが、生き残った彼らの
心の傷として後々まで残ったとのことです。

この日、真喜屋の滝には多くの家族連れが訪れ、自然を堪能していました。
豊かな自然に包まれながら、二度と戦争で苦しむ人が現れないように、
平和を守っていかなければと、浦島さんのお話しが心に深く届いてきました。

ZAN